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Clone wikiNMIH 1180 Scenario / 平安末期~鎌倉時代シナリオのアウトライン
NMIH (CK2 MOD)の平安時代末期〜鎌倉時代シナリオの構築にあたり、今までに思い浮かんだアイディアをまとめてみる。
※注意事項 この内容は予告なく変更される可能性あり。
○平家政権時代
・平家棟梁(平清盛→宗盛)に、事実上の武家政権トップとして皇帝位(e_japan)を付与。
・平家領内のde jure 国王位は、棟梁や有力一門衆に付与する。
・平家領内のde jure 公爵位は、史実での国守や有力豪族に付与する。
・平家領内の有力豪族には、必要に応じてTitular公爵位を新設して付与する。
(例) 足利俊綱:d_ashikaga …ライバルの小山氏(d_shimotsuke)と同格扱いにするため。
・反平家方の有力な勢力には、国王級タイトルを付与する。
以仁王:k_yamashiro (新設)
源頼朝:西関東国王
源義仲:k_shinano (新設)
藤原秀衡:北奥州国王
○義仲政権時代(1183.8.17~)
・史実でも征東大将軍に就任していることから、源義仲に皇帝位(e_japan)を付与する。
・義仲領内のde jure 国王位(北陸・北畿内・山陰)は、義仲兼任とする。
・平家からは皇帝位(e_japan)は剥奪するが、山陽・西中国・四国・北九州のde jure 国王位は引き続き保有。
・寿永2年10月14日(1183.10.31)に後白河法皇から源頼朝の東国支配権が公認されたこと(「寿永二年十月宣旨」)を根拠に、源頼朝にe_kamakura(仮称)を付与を検討。
○頼朝による日本統一の時代(1184.3.5~)
・義仲戦死以降、皇帝位(e_japan)は頼朝の将軍就任まで空位とする。
・頼朝の第一称号をe_kamakuraとする。
・平家・奥州藤原はde jure 国王位を引き続き保有するが、敗退・滅亡により順次国王位を喪失する。
○頼朝将軍時代(1192.7.12~)
・源頼朝に、皇帝位(e_japan)を付与(データ入力済み)
・de jure 国王位は、下記の人物に付与し、それ以外は頼朝兼任。
北条時政:東海国王位(伊豆駿河遠江守護)
比企朝宗→比企能員:北陸国王位(北陸諸国守護。能員は信濃守護も)
梶原景時:山陽国王位(播磨美作守護)
小早川実平:西中国国王位(備中備後周防長門守護。小早川実平解任後は頼朝兼任)
源範頼→天野遠景:北九州国王位(鎮西奉行。天野遠景解任後は頼朝兼任)
※奥州総奉行(葛西清重・伊沢家景)は実態がよくわからないので、保留。
・de jure 公爵位は、史実の守護に付与(守護が不明な場合は頼朝兼任)。
○頼家将軍時代(1199.2.9~)
・源頼家に、皇帝位(e_japan)を付与(データ入力済み)
・de jure 国王位は、頼朝が兼任していたものは北条時政に付与。
・de jure 公爵位は、史実の守護に付与(守護が不明な場合は時政兼任)。
・御家人粛清事件は、いずれも戦闘は伴っているが全国規模ではないので、タイトル保持者交代で表現予定。
(例) 梶原景時の変(1200.2.6)、比企能員の変(1203.10.8)で、それぞれの国王位を、北条時政に移動。
○実朝将軍時代(1203.10.13~)
・源実朝に、皇帝位(e_japan)を付与(日付を9.7→10.13に要修正)
・de jure 国王位は、執権北条時政が保持。後に北条義時に交代。
・de jure 公爵位は、史実の守護に付与(守護が不明な場合は執権兼任)。
・1207年以降、和泉紀伊は後鳥羽上皇領となった史実から、後鳥羽上皇に両国の公爵位を付与する。また、新規に皇帝級タイトル(e_joko(仮称))を付与することを検討。
○実朝死後~承久の乱(1219.2.13~)
・九条頼経に、皇帝位(e_japan)を付与(データ入力済み)
・de jure 国王位は、執権北条義時が引き続き保持。
・承久の乱発生時点で、勢力の再編を行い(上皇方についた各国守護・国人の主君変更、上皇方有力武士(藤原秀康、三浦胤義など)の配置etc)、e_jokoとe_japanとを戦闘状態にする。 (日付としては、1221.6.6(承久3年5月15日)京都守護伊賀光季襲撃 (上皇方の軍事行動開始)を想定)
○承久の乱以後(1221.7.6~)
・歴代将軍に、皇帝位(e_japan)を付与(データ入力済み)
・de jure 国王位は、北条義時→泰時→経時→時頼→時宗→貞時→高時というように、得宗(北条氏トップ)が専有する。北条時頼以降は執権職と得宗が分離したため、得宗以外の執権は相模公爵位で再現を検討。
・de jure 公爵位は、史実の守護に付与(守護が不明な場合は得宗兼任)。
○元寇(1274.11.11~)
・一定の年代で開始すると、元軍がe_japanと交戦状態で存在することで元寇を表現する(元軍指揮官には国王〜皇帝級titular titleを付与?)。
・モンゴル帝国の隆盛と拡大は日本国内の事情によらず起こったと考えられるため、可能ならば元寇以前の年代でスタートしても一定の時期に元軍がPOPするようにしたい。この場合、指揮官・上陸地点はある程度仮想になるだろう。
(参考) 史実元寇の指揮官と役職
文永の役(1274.11.11-11.26)
Dynasty | Name | 名前 | 文化 | birth | death | 所属・役職 |
---|---|---|---|---|---|---|
Hodun | Hindu | 忻都(忽敦) | モンゴル | 1240.1.1 | 1300.1.1 | 元・東征都元帥 ※1 |
Liu | Fuheng | 劉復亨 | 中国 | 1220.1.1 | 1283.3.1 | 元・東征左副都元帥 |
Hong | Dagu | 洪茶丘 | 朝鮮 | 1244.1.1 | 1291.1.1 | 元・東征右副都元帥 |
Kim | Banggyeong | 金方慶 | 朝鮮 | 1212.1.1 | 1300.1.1 | 高麗・都督使 |
※1 忻都と忽敦は同一視。中文wikiにはテムゲ・オッチギンの六世孫とあるが、年代が合わないため(テムゲの孫タガチャルが1250年代に活動)同名の別人を混同したものと考える。忻都という名前は、ウイグル人官僚廉希憲のウイグル名としても見えるため、名前として珍しくない。
弘安の役(1281.6.16-8.29)
・東路軍
Dynasty | Name | 名前 | 文化 | birth | death | 所属・役職 |
---|---|---|---|---|---|---|
Hodun | Hindu | 忻都(忽敦) | モンゴル | 1240.1.1 | 1300.1.1 | 元・東征都元帥 |
Hong | Dagu | 洪茶丘 | 朝鮮 | 1244.1.1 | 1291.1.1 | 元・東征都元帥 |
Kim | Banggyeong | 金方慶 | 朝鮮 | 1212.1.1 | 1300.1.1 | 高麗・征日本都元帥 |
・江南軍
Dynasty | Name | 名前 | 文化 | birth | death | 所属・役職 |
---|---|---|---|---|---|---|
Suldus | Atagai | 阿塔海 | モンゴル | 1234.1.1 | 1289.1.1 | 元・征東行省丞相。スルドス部 |
Fan | Wenhu | 范文虎 | 中国 | 1240.1.1 | 1301.1.1 | 元・征東行省右丞 |
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