弘中弘信の母と妻について

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弘中氏は『萩藩諸家系譜』によると隆包の祖父弘信(1460頃?~1520頃?)の父以前は不明だが、母は大内弘世(1325~1380)の娘という。 世代的に全く符合しない上、書き込みの非常に多い『古代氏族系譜集成』の多々良氏系図にも該当する人物が見当たらないのでNMIHでは再現しない。

また、弘信の妻が大内持盛の娘というが、これも上記の理由と、弘中氏の子孫が大宮司を務める白崎八幡宮のブログの系譜(http://blogs.yahoo.co.jp/shirasaki_1122/57651518.html )にその記事が見えないので、仮冒ではないかと思われる。

そのブログでは貞純親王以来の系譜が乗せられているが、十二代弘中甚之丞兼勝が応永6年(1399)大内義弘の従将となり、十三代右衛門尉弘信は文亀3年(1503)白崎八幡宮の宝殿を、永正8年(1511)白崎八幡宮楼門を造営したとある。これは少し間が空きすぎているように感じ、弘中氏を弘信まで追加した状態で保留しておく。

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